たまには 自身の人生を振り返ってみましょ、、今日はお誘いも無いし
以前から 何回か振り返ってはいますが、、
生まれてから 一貫して今に至る道程を思い起こした事はなかったなぁ
きっかけは 明日 昼カラオケでわちゃあわちゃ騒ぐ中のお一人、、
異性なのですが、、男女的意識無し 子供の頃に 近所で遊んだ友達みたいな
そう あ〜そ〜ぼ〜ってぇ声かけて 近所の子供らが一緒に外で遊んだ頃の あの幼い日々に似て
以前にも断片的にゃ書きました
あたしの家は 家族揃って引っ越した回数は五回
でも 四回目で住んだところが、、
推定ですが 五歳くらいかな
それまでにも思い出は有りますよ、、一番古いのは二歳くらいの 縁側の爺さん
以前に書いたな コレ
次に 小田急線ロマンスカーのメロディー音を 確か 親父に連れられて線路端に聴きに行った、、
この時 母は国立病院に入院中で お見舞いに、、
その時の木造病舎が あたしが初めてココに入院した時に 病棟裏に残っていた
コウモリの巣みたいに朽ちてましたが、、
次は ラジオドラマ キーたんとパパ 小山田むねのりさんのパパの声、、覚えてます
家の裏は空き地、、少年(当然年上のお兄ちゃんたち)が野球をしてて、、弟が顔面にボウルを喰らって、、とか
いつも牛乳を温めて 少し砂糖を入れられてたかな、、飲んでまして
ある日 弟がいたずらにクレヨンをあたしの牛乳に、、
当時のクレヨン、、入れると沈んで、、時間が経つと浮いて来て、、
自転車で巡回している紙芝居屋さんとの遭遇も、、この頃
小遣いもらってなくて、、何も買えないから そっと離れて、、
貧乏人の悲哀を 思い出すと感じます
四番目は、、掘立て共同便所と、、水は共同井戸
引き水注いでポンプを、、幼いあたしでも出来ました
そして 赤痢蔓延、、近所は皆隔離されて、、何故かあたしと母の二人は未感染
近所にゃ誰もいない そんな日を何日か母と二人で過ごして
あと、、近所の遊び相手の女の子が、、共同便所で悲鳴を上げて!
その光景、、便所の扉が開いていて、、後ろ姿のその子のお尻から白い紐みたいな、、
うちのばあちゃんが火箸を持って駆け込みました
そう この子 パンツ一丁で多摩川の河原で一緒に水遊びした子 他にも何人かいたけれど
この子の事は、、小中学校が一緒でしたので
多摩川の辺りみたいな板張り借家、、土手を渡ると公園になってて、、近所の友達と危ない遊びも
箱ブランコの床板外してぶっつけ合ったり、、なんてぇ
誰も怪我を負っていないのは 昔の子供は機敏だったと感心したり、、
歳したでしたが バカな男の子がいましてねぇ
当時 結構アベックで散歩する二人連れが多かった
今はカップルっていうのですね、、当時はあべっく、、
その前に行って寝転ぶと、、何故か跨いで行く、、すると見えるのよね
まるで このスバのベルディア、、ありゃ 首を転がしてますが
毎日近所同志で遊んでるわけでもなく、、一人で多摩川淵に行って 拾った釣り竿や針を、、
なんでかなぇ 釣り用具一式揃って拾えた
餌は 秋の 草の茎に潜んでいる黄虫、、なんか幼虫ですが、、コレが良く連れました
ほとんどはクチボソ たまにフナとかタナゴ
大人は雷魚とかウナギなんかも、、稀ですが、、狙いは ほぼ コイらしい
ココ 川上に上がると兵庫島 下ると読売巨人軍の多摩川キャンプ
歩いて行くにゃ チト遠いので、、何方も一回くらいしか行ってません
引っ越して直ぐに、、我が家は共稼ぎで おばあちゃんも居ましたけれど、、保育園に通わされ
バスの定期を首から下げて通園、、二子玉川、、当時は ただ玉川ってぇ言ってました
下の方が丸子多摩川、、表記の違いは漢字で分かりますが 言葉は何方も たまがわ
だからしもの方にゃ丸子がついて、、
その時 自分のところよりも遠いところから通ってる男の子がいましてねぇ
いつも一緒に帰ったのかな、、記憶では 一回 その子の自宅に誘われて、、ショートケーキをご馳走になった記憶が、、
小学校は学区域が違ったようで、、一緒にゃなれませんでした
小学校は学区域の一番端で、、つまり遠い
学級はニクラス、、三年に上がる時に組み換えが一回あったけれど、、友達付き合い長くなりました
近所の子はクラスすれ違い、、変わりに近い女の子二人が通じて同じクラス
三年生くらいまでは 三人で遊びながら帰った事が多かったですねぇ
とにかく 小学校時代は外で遊ぶ事が多かった
夕方まで校庭で集まって遊んでいたり
近所を回って探検、、柿の声探して盗んで食べたり、、思えば 怒られても追いかけてくる大人はいなかったですから、、子供のやる事にゃ寛容な社会だった様です
中学に上がり 管楽器と出会い、、音楽に傾倒して勉強が疎かに、、都立普通科に行けず商業高校へ
その下りは書いたかなぁ
当時 商業高校って 有る意味女子校、、男女混同クラスはニクラス、、他は女子ばかり
傍目 男子にゃハーレムに見えるそうな、、
工業高校に入った男友達にゃそう見えるって
でもねぇ 男女比があまりにも大きいので クラスないは中学校の延長、、でも 教室を一歩出ると、、
女子校のアレ、、女子校出身者には分かりますよね
唯一 クラブが一緒なら、、その心配はない
時間開いて 何処からかバトミントンセットを持って来て、、校舎裏で遊んだ子、、
やっと思い出したのは苗字だけ、、名前はあだ名くらいしか覚えてません
今 思い出すと、、懐かしい、、
その後 女嫌いに、、男嫌いは昔から、、あの エロい 歯の浮いたセリフにゃ寒気を催します
そんな経験から 男と女の真ん中に自分を置き、、何方にも偏った迎合を避ける様に
今でも昼カラオケでは それを貫いていますから、、群れる事を嫌い カラオケ以外のお誘いには乗らないですよ
カラオケって、、あたしゃ以前に書いた様に 声を楽器と捉えて歌ってます
歌い方が周りとは かなり差異を生じているのは承知の上で、、
あたしゃ 歌が上手くなりたい、、よりも その歌を自分の持つ情念で歌い上げたい、、
そんなカラオケへのアプローチも 賛同者がいらっしゃる 極少数ですけれど、、
自分の歩んで来た道程、、時々の思いを振り返ると、、今の自分に、、
引退して 毎日が贅沢に過ごせる今、、再び熱中できる対象を得られたのは 幸いですね