心象風景、、幼い頃の、、


心象風景 永井龍雲~緑咲香澄~1979年:故郷行きの汽車に揺られ・・・


永井龍雲を知ったのは、、この動画です

声は本人では無いのだけれど、、

逆に この無機質な歌声が、、心の何処かに響いて、、


自身の心象風景は、、もっと幼い頃のモノです


今はディーゼルが走るこの路線、、只見線です

冬のストーブ列車

子供の頃は蒸気機関車、、D51だったのかな?

本当に車内にダルマストーブが設置されていて、、どこかのばあちゃんが焼いた餅をくれた、、


勇壮なラッセル車も、、

当時は まだ 会津若松までは開通していなかったと記憶しています

昭和三十年前半の記憶、、


田舎の家は藁葺きで、、二階はジャガイモを陰干ししていて、、ネズミ番の飼い猫が居て、、


東京に帰る時 じいちゃんとおじさんが餅を突いて持たせてくれて、、

ちまきはおばさんが手作りして、、蒸しあげてくれて、、

小出の商店街は土産物屋でいっぱい、、ハッカ棒をいつも買って帰りました


当時 上越線も上野から、、トキは小出に止まらない なのでヤヒコ、、

浦佐に新幹線駅が出来るなんてぇ 夢にも思わなんだわぁ


今の小出は 土産物屋も寂れて、、駅前から出る守門行きなんか、、残ってたかなぁ

上条までは一理、、歩いた事も、、只見線を使いましたから 当時からバスの本数は少なかったと思います


ヤギを飼っていて、、よく乳を飲まされました、、温めて、、

熟れたトマト派今思い返せば絶品です 市販のトマトとは 全く味わいが違う


夏は 下を流れる、、名前を調べたら 西川って言うらしい

この川で カジカ捕り、、守門神社の夏祭りは、、出店が一つだけ、、

夏の夜は 蛙の鳴き声がうるさくて、、

蛍が 狐の襟巻きに留まって光って、、コレ 凄い怖かったんですよ〜


夏は 何回も、、なので いつの間にか 只見線がディーゼル化されてたのはびっくりです

小学校までは 毎年の夏に、、冬は 何か有った時、、

お寺への細い 踏み固めた道を外して雪にハマり、、大人の人たちに助けられた記憶も、、


幼い頃の田舎の思い出、、

だから 家を買う時にゃ 田舎感を求めていたのかな?

今の家の周りにゃ田んぼは無い、、だから 蛙も泣かない

でも 春告鳥は、、毎年 代を継いで居て、、鳴き声の癖って 親鳥を真似ているから らしい


蛇足です


永井龍雲・・心象風景

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