人は悲しみ(哀しみ)を知ると、、強くなれると言う けれども、、

あたしらの年齢、、両親は既に、、稀に生きながらえている親を持つ人も、、

ありきたりですが、、両親 友達を歳とともに欠いてくるけれど、、

そう言う悲哀は誰にでも訪れる


個々の悲哀を持つ人ってぇ?

そりゃまぁ 感受性は十人十色、、自分の価値観や経験で構築されている思考によるのですよ


若い頃には 恋愛で悩んだ人も多いでしょ

その時の思い、、皆 忘れているそうですが、、

稀に 持ち続けておられる人がいる

感受性として残っていると言う話しで、、そんな昔の悲恋を引き摺っている人は 流石に見掛けません


他人に敏感な人って いますよね


あたしの場合 初対面で、、ほぼ見抜けますが、、

この二年間の昼カラオケで 唯一 見抜けなかった人が一人、、

でも 騙されたわけじゃない ただ、、見抜けなかっただけで、、

その人の評価は 自分では納得出来ていない

他人から聞いた内容と、、一致していないから


人間 高齢者となれば、、相応の人生を経てきているから、、人格の厚みはあるでしょう

ジジババになっても お調子者もおりますけれど、、

話せば そこそこの世相を知り得ているよね


まぁ この二年間は 昼カラオケに集中して、、先のメソッドまとめや 老化についての考察を重ねてまいりましたが、、ひととなりを あまり見ていませんでした

マトリックスに嵌め込んで決め付けてました

そこ 間違いでした、、捉え方は良いけれど、、対応に配慮が足りなかった


今日の昼カラオケでは そんな決め付け視点を取っ払って、、

そうすると、、結局は対応出来ずに無視しちゃう結果になってますが、、それでイイのかも


攻めるよりも守る方が大変なのは理解していました、、だから 今までは攻める姿勢、、

今日からは守りに転じてみましたよ

傍からは ボケた様に見えるかもね

それでも 気楽でした

この方が、、


ライフワークも 新しい課題に切り替わっていますので、、イメージチェンジの好機かもね


以前はメロディーを追っていたカラオケ、、

今は 歌詞の内容を追っていて、、思いの悲哀を歌う曲ばかりを選んでしまいます

歌に描かれる物語り、、同調出来るものを選択して、、


そうすると、、んqぜはか悲哀を歌う曲ばかり、、

今更青春時代に帰れるハズもなく、、それでも思いは若い頃にトリップしちゃうのですよ


自分の人生 振り返ってみると 今の自分の思考の根源が見える様な気がします

自分の選んで来た選択肢の分岐も、、


そして 1番悔しい事は、、金に追われていた期間が結構長い、、つまり 失態ですね

そしてそして、、結局はなんとかなっている

そのところ、、自分の両親に加護されていた事実も、、


過去の思いに、、トラウマに引き摺られてますね

小学校の頃からの失態、、完全にトラウマ化して 記憶に残ってるぞ〜

小さな思い 些細な伝手、、今更ですから、、一生の傷になってしまっている


人は 結構繊細なんですよ、、ただ 弱みを見せない見栄もある

相手を見下さない事 自分も見下されると知ろう

無駄に人生を重ねてきたんじゃない、、今 即断即決出来るスキルを得ていなければならないよね

そう 迷う事が少なくなりました

あっ アルトくんを買った時も 即断即決でしたよ! 


喜怒哀楽を唱えても、、喜怒は失せている、、せめて哀楽は失いたくないでしょ

悲哀の対角にある喜びを求めて、、!

×

非ログインユーザーとして返信する