恋心と愛憎、、恋は盲目 愛は欲望、、故に 恋愛としてまとめられて、、本来は別の心理なのに、、

以前は無関心でしたが、、テラスハウス騒動で痛切に感じた現代社会の暗部、、

それは あんな素人が演じた擬似状況を間に受けるバカの多い社会

隣国も同様の体を呈してましたから 余計に、、


ジェンダー平等ってぇ、、有り得ない事を、、


むかしもオマセさんはいましたよ、、幼稚園時代にも、、

それは単純な思い込みでしたが 男女の性の差を認識せずに回りから意識させられた結果みたいです


本質的に意識して、、認識が出来る頃、、おおよそ十歳前後でしょう

それまで 仲良く手を繋いで通った通学路、、学年や学期の変わりから よそよそしくなって、、

まぁ 往々にして 男の子が置いてけぼりを喰らうんですけれど、、


でも、、初期には 憧れる思いから、、特にオマセさんは年上の異性に思いを寄せる

普通の子供は 同じクラスの目立つ同級生、、

子供の世界は狭いですから


中学時代は、、まだ 憧れる心理も残っています

そこに 性的差異も意識され、、それでも 付き合う迄には 普通は至りませんね 一部のオマセさんを除いて

存在自体も対等です


高校生になると走り出す、、ほとんどみんなが、、


ここで 少し面白い事が有ります

恋心の認識、、それを思い出の中に見出せる人は幸いです

ドロドロした愛憎とは、、おそらく無縁な人生を送れる可能性が高い

淡い思い出であるならば、、


中学時代に意識が強かった人は、、恋と愛の差異を意識出来ずに突っ走るか引っ込むか

前者は女 後者は男が多い

昭和の頃には 女が選択権も決定権も持ってました


最近 アベマテレビで何やら仮想現実の若い奴らの恋愛物が続いてます

テラハと同時に扱ってましたねぇ

地上波では描く年齢故の社会現象にまで炎上しましたが、、

アベマでは年齢層が低い、、そして あまりにもチャラけていて、、大人の眼ではウザい

そう、、同年代のチャラい奴ら対象で、、そして 結構 このチャラい層が現実社会には結構多いらしい

自分に変な自信を持つ 自信過剰な年齢なのか、、ウザい事も頭がお花畑な受け皿には、、


恋は思い、、愛は育むものなれば、、視点も観点も違うから そのどちらも合わせ持った関係が理想でしょう けれど、、現実はそんなに甘くない


自分の記憶を辿ってみると、、

異性の友達の顔は 小学校一年生の頃まで遡れました

その前、、保育園の頃には 先生の顔しか思い出せません、、

愛は その前座に恋をして、、その前には憧れる心から始まっている様です

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